2014年10月26日日曜日

ロンドンのような国際都市で学ぶことのデメリット

ロンドンは世界有数の国際都市であることは誰の目にとっても明らかですが、留学生の視点でロンドンをみる場合はいくつかの点に気をつけなくてはなりません。

まず第一に、ロンドンはどの民族、人種もある一定の数がいるということです。これはつまり、簡単に自分の出身国の集団を見つけることが出来るため現地の人や他のバックグラウンドの人とほとんど交わらずに暮らせてしまうということです。

僕は高校時代に留学生・非白人がほとんど居ないウェールズで学んだため、ロンドンに来たばかりの頃は日本人がたくさんいる環境に感動しましたが、その居心地の良さにかまけてしまっては、留学している意味がないと思います。なぜなら留学で身に付くスキルで最も重要なスキルは異なる文化的環境に適応する能力だといっても過言ではないからです。

第二にイギリス留学という大きな視点で考えたときに、ロンドンに最初に来てしまうと他の場所にいかない上に、ロンドンの環境がイギリスのスタンダードと勘違いしてしまうことです。他の都市出身のイギリス人に言わせればロンドンは「全く別もの」です。ロンドンだけを知ってイギリスを語るのは非常に短絡的です。ちなみにスコットランドの独立運動も反ロンドン的な要素があったことは広く認知されています。

また、ロンドンは国際的な環境なため、「ごく普通の」イギリス人の考えに触れる機会が少ないとも言えます。地方都市にいけば今でもアジア人に対する差別などは当たり前のようにあります。こうした現実もロンドンの外に出て住んでみなければ分かりません。

ロンドンに留学することの魅力はたくさんありますが、視点を変えてみると、国際都市であるがための問題も理解することが大切です。

2014年10月23日木曜日

読むことの重要性

すでに書いたかもしれませんが、イギリスの大学(特に人文・社会科学系の学部)では毎週、山ほどの学術論文・書籍・法律を読まされます。

この夏に日本に帰って日本の大学生と話していて、イギリスの大学生が3年間でとれる科目数はかなり少ないということに気づいたのですが、それ自体が全く異なる授業の進め方に基づくもので、特にその原因になっているのがリーディングの量の多さだと思います。

一見すると、リーディングは生徒の負担ばかりが増えて、時間を食う非効率的な学び方かも知れません。しかし、僕は今苦しくても、これだけのリーディングを大学生という一番大切な時期に出来るのは非常に重要だと感じています。

例えば、国際法の父といわれるグロティウスの「自由海論」を大学2年生で全部読まされる大学が日本であるでしょうか。また大学1年生でマルクスの「資本論」を教科書やゼミのプリント以外で原文を読まされる環境が日本の大学にあるでしょうか。

確かにこれらの古典的名著は非常に何回で教授の導きなしではなかなか理解できないものです。その一方で、それらが何世紀を経ても名著なのはそれだけ普遍的な価値と重要性があるからであり、自分の思想が形成されていく大学生の時期に幅広くそうした文章に触れられるというのは有り難いことだと思います。

現代では簡単にいろんな情報の要約が手に入り、古典的名著に関しても多くの解説本が出ています。しかし、大学のゼミでディスカッションをすれば同じチャプターを読んでも多種多様な解釈があることが分かるように、自分自身の解釈を持つことはやはりたいせつなのではないでしょうか。

確かにリーディングにおわれるのはいつも苦しいものですが、その知的格闘の先には真の意味での知的充足感が待っている気がします。