2014年12月31日水曜日

年の終わりの雑感など

時が経つのは本当に早いもので、イギリス時間で今この投稿を書いている瞬間に12月31日になりました。

今年は本当にいろんなこと、いろんなところに行きました。一月のマルタ旅行に始まり、イースターにはベルギーとルクセンブルグ、夏にはインド、シンガポール、台湾そして今月にはポルトガルなど、知らないうちに1年で7カ国も行っていました。

また特に夏にはアジア太平洋ユース会議に始まり、京都グローバルリーダー育成カップ、そしておそらく自分が今まで参加した会議で最大規模のハーバードアジア・国際関係プロジェクトの会議など多くのイベントがあったとともに、個人レベルではJapan Times STに記事を掲載していただいたり、これまで通り地元・広島での報告会はもとより、大阪・東京においても自分の留学経験を発表する貴重な機会を頂きました。

また、人生で初めて就職活動を経験し、いきなり受けた戦略コンサルティングファーム(PWC Strategy&) は身の程知らずで正社員採用に挑戦し、そのハードルの高さに一時は自信を失いましたが、二回目の挑戦では有り難いことにフェルミ推定やケース面接の対策ができていなかったにも関わらず、なんとか4次面接まで耐え忍んでDeloitte Consultingから夏期インターンシップのオファーを頂きました。

そして何より、ついに今年で20歳になったということが自分の中では大変大きいです。もちろんイギリスでは18歳でほとんど大人と同等の権利・義務を得るのですが、日本人として「社会的に」ついに大人の仲間入りをしたという事実は他の何よりも重く感じました。今まで、自分で言うのは何ですが、「子供としては・10代としては」すごいといろんな方に言っていただいてきましたが、もうこれからはただの大人です。まだまだ精神的には成熟していませんが、「ただの」大人として自分がどうやってバリューを題していくのかというのは今の自分に取って大きな課題です。

今学期の終盤、本当にエッセイやプレゼンテーションに追われて非常に苦しかったのですが、そのときにふと「もし日本の大学に入っていたら大学2年生でこんなに苦しいほど勉強していなかったかもしれない。今これだけ勉強させられる環境にいるのはむしろ幸運なことではないか。」と思いました。この思いは特に国際関係学の単位を今年初めて取った同級生にエッセイのアドバイスをしている時に強くなりました。なぜなら、自分が話しているうちに自分でも驚くほど国際関係学の知識がついていることに気づいたからです。

年の締めくくりとして自分が強く思うのは、「今自分がおかれている環境で自分の全力を尽くす、今を懸命に生きる」ことが一番大切なことだということです。確かにいろんなことを心配したり、悩んだりするのは時として良いことです。しかし最終的に今、この瞬間の課題に全力で取り組み続ければ、最終的に良い方向に向かっていくのではないでしょうか。そんなことを考えながら、今年の終わりを迎えた僕でした。

2014年10月26日日曜日

ロンドンのような国際都市で学ぶことのデメリット

ロンドンは世界有数の国際都市であることは誰の目にとっても明らかですが、留学生の視点でロンドンをみる場合はいくつかの点に気をつけなくてはなりません。

まず第一に、ロンドンはどの民族、人種もある一定の数がいるということです。これはつまり、簡単に自分の出身国の集団を見つけることが出来るため現地の人や他のバックグラウンドの人とほとんど交わらずに暮らせてしまうということです。

僕は高校時代に留学生・非白人がほとんど居ないウェールズで学んだため、ロンドンに来たばかりの頃は日本人がたくさんいる環境に感動しましたが、その居心地の良さにかまけてしまっては、留学している意味がないと思います。なぜなら留学で身に付くスキルで最も重要なスキルは異なる文化的環境に適応する能力だといっても過言ではないからです。

第二にイギリス留学という大きな視点で考えたときに、ロンドンに最初に来てしまうと他の場所にいかない上に、ロンドンの環境がイギリスのスタンダードと勘違いしてしまうことです。他の都市出身のイギリス人に言わせればロンドンは「全く別もの」です。ロンドンだけを知ってイギリスを語るのは非常に短絡的です。ちなみにスコットランドの独立運動も反ロンドン的な要素があったことは広く認知されています。

また、ロンドンは国際的な環境なため、「ごく普通の」イギリス人の考えに触れる機会が少ないとも言えます。地方都市にいけば今でもアジア人に対する差別などは当たり前のようにあります。こうした現実もロンドンの外に出て住んでみなければ分かりません。

ロンドンに留学することの魅力はたくさんありますが、視点を変えてみると、国際都市であるがための問題も理解することが大切です。

2014年10月23日木曜日

読むことの重要性

すでに書いたかもしれませんが、イギリスの大学(特に人文・社会科学系の学部)では毎週、山ほどの学術論文・書籍・法律を読まされます。

この夏に日本に帰って日本の大学生と話していて、イギリスの大学生が3年間でとれる科目数はかなり少ないということに気づいたのですが、それ自体が全く異なる授業の進め方に基づくもので、特にその原因になっているのがリーディングの量の多さだと思います。

一見すると、リーディングは生徒の負担ばかりが増えて、時間を食う非効率的な学び方かも知れません。しかし、僕は今苦しくても、これだけのリーディングを大学生という一番大切な時期に出来るのは非常に重要だと感じています。

例えば、国際法の父といわれるグロティウスの「自由海論」を大学2年生で全部読まされる大学が日本であるでしょうか。また大学1年生でマルクスの「資本論」を教科書やゼミのプリント以外で原文を読まされる環境が日本の大学にあるでしょうか。

確かにこれらの古典的名著は非常に何回で教授の導きなしではなかなか理解できないものです。その一方で、それらが何世紀を経ても名著なのはそれだけ普遍的な価値と重要性があるからであり、自分の思想が形成されていく大学生の時期に幅広くそうした文章に触れられるというのは有り難いことだと思います。

現代では簡単にいろんな情報の要約が手に入り、古典的名著に関しても多くの解説本が出ています。しかし、大学のゼミでディスカッションをすれば同じチャプターを読んでも多種多様な解釈があることが分かるように、自分自身の解釈を持つことはやはりたいせつなのではないでしょうか。

確かにリーディングにおわれるのはいつも苦しいものですが、その知的格闘の先には真の意味での知的充足感が待っている気がします。


2014年7月2日水曜日

21世紀の国家論、憲法論、そして日本の行く先

国家っていったいなんでしょうか。国家という言葉はメディアでも政治でも、経済でも頻繁に使われますが、定義しろといわれると意外と言葉に詰まるのではないでしょうか。

中学校の時の地理の授業を覚えてらっしゃる方はきっと「領土、国民、主権」の三要素から構成される共同体と答えられる思いますが、国際関係学では特に国家の政治的側面を強調します。つまり全ての国家"state"は政治的集合体"polity"であるという考えです。

このような考えに基づいて、日本の国際政治学者である高坂正尭は国家は三つの体系(システム)からなると主張しました。それらは力の体系、価値の体系、利益の体系であり、高坂は共同体の人々がそれらを共有する事によって国家が成立すると述べました。

では日本の力の体系、価値の体系、利益の体系とはなんなのか。一番簡単なのは利益の体系で、日本の経済=日本のマーケットが生み出す利益は日本国民にも利益をもたらすシステムです。

価値の体系、力の体系は密接に関係しており、僕の考えではこれは憲法で端的に表されていると思います。それらはすなわち日本国憲法三つの柱である、「国民主権」、「基本的人権の尊重」そして「平和主義」です。

国民主権はその文字通り、国家の権力、権限は全て国民に由来するものであるという事です。これが日本の力の体系です。そして価値の体系はこれらの三つの原理に表されているものです。

憲法は基本的に国家の原理原則であり、それは国民を縛るためではなく、国家権力と統治機構を統制するためにあるものです。

今、日本で起こっていることはこれらの基本的な国家論、憲法論に逆行するものであり、本来なら国家の根底を揺るがす事態かもしれません。

集団的自衛権そのものの是非についてはいろんな論点があるので割愛させてもらいますが、それが勝手に閣議決定で決められるということは本来憲法をを遵守するべき立場にある政府の暴走と言わざるを得ません。

また、国民主権を明確に謳っていないイギリスにおいても憲法の改革、EUの改革、地方分権の改革においては必ず、Referendum(国民投票)が行われており、日本ではなおさら今回のような重要な懸案事項に関しては国民投票があって然りです。

確かに今の憲法はGHQにほとんど押し付けられたも同然のものであり、本来の民主国家n憲法の成立方法から考えればその正当性は弱いです。でも私は個人として、今の憲法は非常に素晴らしい理念を持った日本の財産だと信じています。

私の尊敬する白洲次郎氏は唯一の自著「プリンシプルのない日本」で「日本の戦争は日本国憲法を自分たちのものだと思えた時にやっと終わるだろう」と語っています。隣国との歴史問題、戦後レジーム、対米従属。これらの問題は私たち日本人が今の憲法を直接認めることでしか、解決していかないと思います。

憲法改正よりも、今の憲法を支持するかどうかの国民投票を行い、そして過半数の国民がそれを肯定したときにはじめて日本は前に進む事が出来るのではないでしょうか。

日本の行き先は私たちが決める、そういう気概を持った国民による国家になる事を願わんばかりです。





2014年6月28日土曜日

ロンドンで学ぶということ

世の中には何でもあるもので、有名な教育調査機関であるQSによるBest Student Citiesというランキングがあります。2014年版ではパリが1位でロンドンが2位なのですが、ロンドンで学ぶ大学生としてロンドンの魅力を考えてみたいと思います。

まず、QSによるとロンドンはランキングにカウントされている大学、教育機関が18もあり、世界で一番アカデミックな都市だそうでです。さらに文化、ナイトライフ、国際的な多様性といった指標でも高得点をあげているそうです。

ではなぜロンドンが1番ではないのか。これはズバリ物価と、家賃の高さによる差だといえると思います。ロンドンに来たことがある人は分かると思いますが、ロンドンの物価は異常です。例をだすと、地下鉄の初乗り運賃はOysterを使っても£2.4=¥408、サンドウィッチを中心部にある店で買えば£3.5=¥595です。これだけでもいかに高いかお分かりいただけると思います。
それに加えて、ロンドンは昔から世界各国の富裕層に人気があり、中東、ロシア、中国などの新興国の成金富豪たちが投機対象として住宅物件を買いあさっており、ロンドンの不動産価格上昇率は世界でも有数で、イギリス人でもなかなかいいところに住めないという状態です。

ではこれらのマイナスファクターがあるのになぜロンドンは留学生に人気なのか?それには大きく分けて3つのファクターがあげられると思います。まず第一にロンドンはイギリスの首都です。つまりもちろん公用語は英語です。第二外国語をやればすぐに分かりますが、英語は世界でも有数の習得が簡単な言語であり、同時にマスターすれば世界中どこでも使えます。ヨーロッパやアフリカの学生にとってはアメリカに行くより、地理的にも歴史的にもつながりがあるイギリス、そしてその中心であるロンドンを目指すのは自然でしょう。

第二に文化的なバランスがあげられると思います。ロンドンはイングランドの伝統を維持しつつも、常に新しい文化を吸収しており、文化的に非常に良くバランスがとれた都市だといえます。さらにロンドンには世界中の国から人が集まっており、食生活が貧しいといわれるイギリスの中では一番美味しいものが食べられるということも学生にとって重要な判断基準だと思います。

第三にやはり治安があげられます。世界にはロンドンのようなグローバルな都市はいくつかありますが、特にアメリカの大都市やヨーロッパの大陸側の大都市と比較すると断然治安がいいです。僕たち日本人からするとロンドンはちょっと怖いかもしれませんが、銃規制があるというだけでもかなり安心度は違うと思います。

これらのファクターは一般論なので、僕なりの視点を加えると、ロンドンで学ぶことの魅力はやはり「国際感覚」を得られることにあると思います。今ではニューヨークが国連本部さえももつ世界第一の国際都市ですが、一世紀以上にわたってロンドンはヨーロッパの、そして世界の政治と経済の中心地でした。そういう意味でロンドンは真の意味で国際的なキャパシティーがあり、そしてそこに人を引きつけるだけの魅力があるのではないでしょうか。大学で言うと、世界一位不動のハーバードでも留学生比率は20%くらいといわれていますが、ロンドン大学の系列カレッジでは留学生比率50%以上というのはざらです。この数字からもロンドンの国際度が分かると思います。

要するに、ロンドンで学ぶことはただ単にイギリスの首都で学ぶという物理的なことではなく、そこにいながら世界を知ることが出来る魅力的な都市なのです。


2014年6月17日火曜日

グローバルに働くのは難しくない。でもグローバルリーダーになるのはやっぱり大変

今まで、一ヶ月近くブログを更新していませんでしたが、その間にLSEで1年目の最初で最後の試験があり、なんとか乗り越えることが出来ました。結果はまだ分かりませんが、よく考えたら、外国の大学で、外国語を使い、現地の、そして世界のトップの学生と同じかそれ以上の結果を目指すということはかなり大変なことだと気づきました。

この気づきに関連しているのですが、実は今の時代、日本人にとって海外に出て学ぶ、働くということはそんなに難しくないと言えると思います。しかしながら、そのグローバルなコミュニティのなかでリーダーに なるのはやはり凄いことだと、クリスティーヌ・ラガルドIMF専務理事の話を聞いて思いました。

IMFという名前はほとんどの人が聞いたことがあると思いますが、具体的に何をしているかというと、各国の通貨の安定と国際為替の調整そして財政危機に陥った国の支援などをしています。(最近で言えばウクライナなど)

その性格上からIMFは絶大な権限と影響力があり、特に発展途上国はIMFの介入を非常に恐れています。そんな国際機関のトップになるには並大抵の能力では務まりませんし、各国の首脳陣から信頼されるだけの統率力が不可欠です。

しかしながらクリスティーヌ・ラガルドは本来のフランスのエリートとは全く違う道を通ってそこまで登り詰めた人です。彼女はシンクロのナショナルチームに所属したり、フランスエリートの登竜門といわれるグランゼコールの一つENA(国立行政学院)の試験に2度失敗して、米国系弁護士事務所のベーカー&マッケンジーで働いたりとかなり変わって経歴をもっています。

そんな彼女は英語が比較的に苦手というフランス人の中でも滑らかな英語を操り、法律から財務まで幅広い知識を持っています。そしてなにより、国際機関で生き残るための政治力をもった世界最強のキャリアパーソンの一人かもしれません。

今回僕が話を聞きにいったパブリックレクチャーは持続可能な経済発展と社会的公正の実現についてだったのですが、ラガルド氏の方風な経験と知見をもとに面白い話が聞けました。

ラガルド氏によると基本的に貧困削減や、途上国における女性進出を促進するためには3つのエンパワーメント(力を与えること)が必要だそうです。

まず第一にはそうした不公平な立場にいる個人のエンパワーメント。これは公平な雇用機会の創出や法整備、不特定住所に住む人々の信用アクセスなどを意味します。

そして第二にこれらの改革を進めるには公的機関、政府のエンパワーメントが必要です。これは途上国の政府の情報公開や、オンブズマン制度の導入によって達成されます。

第三に包括的にグローバル社会でこれらの問題を解決するために、多国間主義のエンパワーメントが求められます。これはまさにラガルド氏がトップをつとめるIMFや世界銀行、国連などの主要な国際機関をよりフェアな構造に改革し、多国間協力への参加を促すということです。

こうした概念的な話は今までも何回も聞いたことがあったのですが、言葉の重みがありました。男社会の政界や、外国人が不利な外資系企業で、渡り合ってトップをもぎ取ると言うのはやはり伊達ではないと思います。

ラガルド氏のパブリックレクチャーは真の意味で「グローバルリーダー」になることの難しさを改めて突きつけると同時に,それに対する憧れを強めました。

2014年5月1日木曜日

マイケル・サンデル教授による公共哲学の講義

試験が刻々と迫って来ているのですが、日本にいた時からずっとみたいと思っていた、マイケルサンデル教授の「なぜ投票するのか」についての講義にいくチャンスを得ました。

サンデル教授は公共哲学、政治哲学の第一人者であり、日本でもNHKで放送された「ハーバード白熱教室」で一躍有名になりました。

彼は「これからの正義の話をしよう」という著作からも分かるように、社会的正義、道徳、公共政策などの分野を得意としており、今回はBBCの"Public philospher"という番組の一環でした。

講義の内容について全てここに書くのは大変なので省かせてもらいますが、自分が大切だと思ったポイントだけ取り上げたいと思います。

さて、サンデル教授と言えば、その対話方式で進める授業が有名ですが、本当に聴衆との対話でずっと講義は行われました。

まず、彼はいったいどれだけの人が今月にあるEUの選挙で投票するつもりかを問い、ほとんどの人が投票する方に手を挙げる中で、投票しないと答えた人から議論をはじめました。投票しない人の言い分としては、現状の生活に満足していること、自分の票に価値がないこと、地方政治は自分に採って重要でないことなどがあげられました。

それに対してサンデル教授は投票すると答えた人たちになぜ投票するのかを問い、そこで大まかに投票には道徳的、公民的動機付けと、経済的動機付け(利益追求)が有るということが対話によって明らかにされました。

そこからは一人一人の票の価値がどのように理解されるべきかを極端な例を用いて、聴衆の心を引きつけながら議論はさらに深化していきました。

その間でた問いは、


・なぜ選挙における賄賂は不道徳、違法的だとみなされるのか?投票の棄権や不投票よりはましではないか?本質的に民主主義と選挙は集団的な賄賂ではないのか?あなたの票を自由市場で売買するのにどんな問題が有るだろうか?


・投票は合理的な行動なのか?あなたの投票を費用対効果分析で考えるとどうだろう?あなたの一票は本当に意義があるのだろうか?


など、普段は絶対に考えないような新たな視点からの投票の重要性を時にヒューモア交えながら、サンデル教授と聴衆の対話は続いていき、正解がない問題の難しさ、しかしそこについて思いを馳せることの大切さを肌で感じました。


サンデル教授は最後に「個人の投票は実は自己利益の嗜好を表現する手段に過ぎないが、そこに共同体の社会的方向、未来という要素が加わり、それを一人一人が意識することで尊いものになる」と結論づけましたが、全くその通りだと共感しました。


私たちが生きている社会には秩序があり、困っている時はある程度救いの手が差し伸べられ、個人の権利は守られています。しかしこれは政治哲学的に言うと、社会契約が成立しているからあり、その社会契約の根本的な要素である民主的統治を成立させるのは他ならぬ、私たちの一票なのです。


久しぶりに、表層的ではない、本質的哲学議論にどっぷりと浸かり快感を得ましたが、唯一後悔しているのは発言できなかったことです。15回くらい手を挙げたのですが駄目でした(涙)。でもサインはもらいましたよ!いずれにせよまたサンデル教授がLSEにくる機会があれば是非また聴講したいと思います!

2014年3月29日土曜日

人道的介入の矛盾

「人道的介入」という言葉は今ではかなり一般的になりましたが、実は国際法上かなりグレーであることをみなさんはご存知でしょうか?国際関係学の大前提として、"state sovereignty"(国家主権)という考え方があるのですが、これはいかなる国家も他国の主権を侵害することは出来ないというものです。人道的介入はいくら市民の人権を守るとはいえ、根本的に他国の内政に干渉し、国土を侵す行為であることにはまちがいないのです。

さらに、問題は法的根拠だけでは有りません。人道的介入はよくselective(選択的)だと批判されます。というのも介入国は自国の便益や、国内の世論の様子を見た上で初めて動く訳で、恒久的な人権保護の価値観で行動している訳ではないからです。具体的には、現在進行形で市民の血がながれているシリアには多国籍軍は介入していませんし、内戦が未だに続くソマリアではアメリカですら状況の改善を待たずに撤退しました。

「人権」の概念の発明は近代の人間倫理の向上に大きく貢献しましたが、実際にそれを守ることを考えたときには、いまだに多くの壁と問題が有るというのが現実です。人道的介入をしっかりと機能させていくには、1)「守る責任」の確立、2)安全保障理事会や特定の大国の思惑ではなく、きっちりとした介入原則が提示できる国連部隊が必要だと思います。1)に関しては説明すると、基本的に全ての国家は自国の市民の生命と安全を保証する責任があり、それが遂行できなくなった時は他国が介入して代わりにその国の市民を保護する、という原則です。

これらの現状と課題をふまえて、国際社会が一刻も早く人道的介入の矛盾点を解決し、真に市民の安全保障に役立つものになれば、人道的介入は国際社会の中での確立されたモラルスタンダードになりうるのではないでしょうか。

LSE100〜大局観を養う授業〜

世界の有名大学にはどれも強み、売りというものがあります。LSEの場合は強みは社会科学ですが、アメリカの大学のリベラルアーツ(教養教育)に対抗するため、近年LSE100という社会科学の視点を使って大局的な問題(気候変動、金融危機、貧困問題、ナショナリズムなど)を議論するコースが学部生の必修になりました。

このコースは全学部共通なため、クラス(ゼミ)では全く違うことを勉強している生徒と議論することになります。もちろん普段やっていることがお互い違うので、大変な部分も有りますが、全く別な視点や解釈が得られるという点では非常に面白いです。

さて、そんなLSE100ですが成績は基本的にエッセイで決まります。一週間ほど前に、二つ目のエッセイの提出があり、提出日まで必死に取り組んでいました。

今回の設問は「複雑な社会的事象の分析をするにあたって、多角的な学術視野からのアプローチの強みを答えなさい。」というものだったのですが、あまりにもスケールが多すぎて、考えをまとめるのに非常に時間がかかりました。それぞれの学術的視野がどう同じ問題を定義するのか。分析方法の量的、質的な違いは何か。学問ごとのバイアスは、他の学問との組み合わせで克服できるか。考えだしたらきりがないのですが、気候変動に関する国際交渉と冷戦の終焉という二つのケーススタディをもとに、なんとか自分なりの答えをまとめることが出来ました。

ただ、こうした簡単に答えが出ない問題について考える機会が与えられることは有り難いと思います。実際にLSEを卒業した学生たちは各国、各界のリーダーになる訳ですから、正解のない中で決断を下さなくてはいけない場面に将来必ず遭遇します。そんなとき、大局的な目を持って思考できる能力が有るかないかは大きな違いとなって出てくるだろうし、それが出来る人材を輩出しているからこそ、LSEの名前は評価されているのだと思います。

答えが簡単に出る勉強は達成感が有りますが、実社会で役立つ力にはなかなか結びつきません。暗記やパターンの理解を超えた思考力が問われる勉強では達成感はなかなか得られず、すっきりしないことも多いです。ただ、そこを乗り越えることで、多少のことでは動じない、大局観を持った真のグローバル人材が誕生するのかもしれません。

2014年3月27日木曜日

Ryeに行ってきました!


いつも勉強の話ばかりしていても面白くないので、たまには休みのあいだにいろいろ行ってるイギリスの観光スポットについても書いてみようと思います。イギリス、特にイングランドと言えば湖水地方、コッツウォルズ、ウィンザー、カンタベリーなど多くの有名なスポットが有りますが、その中でもあまり知られてなくて人気なのがRye(ライ)です。ライは中世から大陸との貿易の窓口として栄え、その後海外線の後退によって港町としての役割は失われたものの、その美しく独特な街並と、おしゃれな店(アンティークブックの専門店や雑貨屋さんなど)で知る人ぞ知る観光地なのです。今回はLSEやKing's Collegeの先輩方と不定期に行っている「アフタヌーンティーを楽しむ会」のメンバーで行って来たのですが、みんな想像以上に良かったと口々に言っていました。

ライは小さな街なので、実際のところ普通に観光するのなら3時間くらいで十分です。まず食事どころのおすすめはシーフードが絶品のWebbe's at the Fish Cafeです。少々お値段は貼りますが、ロンドンで食べるよりはそれでもだいぶ安く、オイスターからアンコウまでなんでも美味しいです。おなかが満たされたら、街の中心部を通るHigh Streetに向かいましょう。High Streetではイギリスでも見つけるのが大変なおしゃれなアンティークや雑貨のセレクトショップが軒を並べています。貴重なものも多いので(19世紀の壁時計など)なかなか手が出ませんが、みているだけでも十分楽しいです。通りを抜けていくと、坂を少しあがったところにSt. Mary ChurchというRyeで一番大きな教会があります。この教会は世界で現存する最古の塔楼時計を所有しており、未だに時間を刻み続けています。さらにその教会の塔には実際に上ることができ、街と近隣の村の様子を一望する眺めが待っています。最後にどうしても逃せないのが、Mermaid Innという1420年から同じ場所にある有名なホテルです。見た目からしても十分古いのですが、その格式からか、ジョニー。デップやジュディ・デンチなど有名人も多く訪れています。今回はトライできませんでしたが、ティールームも人気のようです。一通り散策し終えてつかれたらここでアフタヌーンティーをとるのも良いかもしれません。

ロンドンに飽きた方、イングランドのあまり知られていないスポットに興味の有る方はロンドンから1時間半で行ける、童話に出てくるような素敵な街並が待っているRye(ライ)を訪ねてみてはどうでしょうか。




イギリスで初めての生ガキです!

エビ、ニシン、カニ、イカ、タコなど新鮮な魚介類も頂きました!

メインのムール貝と白身魚の盛り合わせ

お友達はアンコウのローストを頼みました

丘を登っていくと立派な城門が!

昔ながらのお菓子屋さん

かわいらしい民家とミニ

世界で一番古い鐘式時計がある教会

協会の中ではパイプオルガンが演奏されていました

街の当時の繁栄ぶりをしめすステンドグラス

教会の塔に上ってます

昔ながらのイングランドの村って感じです



昔は海がすぐそばに有ったみたいですが、今ではすっかり平地です





ハイストリート


1420年に再建されたホテル、マーメイド・イン。著名人も宿泊しています

マーメイド・インの内部


あっという間に一日が過ぎました

2014年3月4日火曜日

ロンドンで世界を食べる

ロンドンはみなさんもご存知の通り、世界中から移民が集まってくるコスモポリタンな都市です。日本でも今、移民を将来的に受け入れるかどうかの議論が本格的になって来ていますが、移民受け入れの先駆者であるイギリスでは移民とイギリス人の対立は年々強まっており、2010年にはイギリスの首相、デイヴィッド・キャメロンが「イギリスの多文化主義は失敗した。」と宣言するほど難しい問題になりつつあります。

そういった理由から、ロンドンは以前に比べ、移民に対する受け入れが厳しくなりつつありますが、なんだかんだ言って、ロンドンの文化的に元気なのはやはり、彼らのおかげだとも言えます。実際、昨年か一昨年にロンドンの人口の過半数がNon-British、つまり外国から来た人たちで占められるようになりました。ロンドンのエネルギーは間違いなく彼らによって発信されている部分が多いと思います。

そんな国際都市ロンドンではそれぞれの移民が固まっているエリアでその国、民族の食べ物が楽しめるのですが、その中でもブリック・レーンという場所は非常に面白いです。そこは歴史的に多くの移民が住み着いたエリアなのですが、現在では日曜日にマーケットなどが開かれ、世界中の食べ物の屋台が所狭しと並びます。

僕が日曜日に行ってみたところ、評判以上の凄さで、食べ物の値段もロンドン中心部に比べれば格安ですし、本当にそれぞれの国、民族の人が屋台をだしているので、まるで異国に来たかのようです。今回は評判のベーグル(with クリームチーズ&サーモン)、たこ焼き、インドの伝統料理タリなどを食べましたが、どれも本当においしくて感動しました。特にタリは5ポンドなのに2人前くらいあって、本当にお腹いっぱいになりました。

「世界を食べたい」、そんな願望を持った好奇心の強い方はぜひブリック・レーンに行ってみてはいかがでしょうか。


2014年3月2日日曜日

力について考える

唐突ですが、みなさんは「力」"Power"についてどう思いますか。実はこの質問は僕たちのように社会科学をやっている学生にとっては非常に重要な命題です。
社会学的な解釈によると、力は社会を運営する上で最も重要な概念の一つだとも言えます。

例えばフランスの哲学者、ミシェル・フーコーは力とは「関係性」であり誰も所有する事が出来ないと主張しました。その一方で、彼は私たち自身の精神に力は内在化しており、もはや自分たちの自分たちの一部であるとも考えました。

同じくフランスの哲学者ジャン・ボードリヤールは力はマルクスが主張するように資本主義によって独占されているがもはや経済ではなく社会システムそのものが、消費と象徴交換によって人々を操り幻想を見せていると考えました。

他にもたくさんの見方があるのですが、ウクライナで起こっている暴力や東アジアでの異様なパワーポリティクスを理解するためには力について考える事は非常に大切です。

またこれは僕の個人的な考えですが、人間は思考を与えられた代わりに、野生の力、すなわち、自然環境という最大の暴力から逃れられないような弱い身体を与えられたのでしょうか。その恐怖から人間は本能的に力を常に欲しているとも考えられます。もしそうならば、私たちの力の向き合い方は今後ますます大切になっていくかもしれません。

いずれにせよ、こうした事を大学一年生から真剣に考えられる事を僕は本当に幸せに思いますし、それに意味があると思って少し自分の中の自問自答を少し形にしてみました。

2014年1月14日火曜日

明けましておめでとうございます

みなさん改めましておけましておめでとうございます。
大学に入って初めての長期休暇でしたが、とても充実していました。
イタリアのフィレンツェに行ったり、地中海の小島マルタを訪れたりと、国際関係学をやっている学生らしくまたいろいろと見聞を広めてきました。
他にもはじめてロンドンで新年を迎えたり、クルミ割り人形のバレエを観に行ったりとロンドンを満喫する事も忘れませんでした。(笑)

そんなこんなで4週間もあった冬休みもあっという間に終わってしまったのですが、さすがLSE、冬休み中もばっちり課題がありました。そのなかで一番心配だったのが休み明けの国際関係学のプレゼンだったのですが今日無事に終える事が出来ました。トピックは「国際化とグローバル化の違いは何か?」という絶妙な質問だったのですが、韓国人の同級生と力を合わせて、良い形に仕上げる事が出来ました。普段なかなかLSEの学生は手放しに評価してくれないというか他人に厳しいのですが、プレゼンを終えたときに拍手(しかも2回)もらったときには感慨深い物がありました。

明日は新しい教養課程のLSE100やエッセイのフィードバックがあったりとまただんだん普段の忙しい勉強生活に戻りつつありますが、気合いを入れ直してイースターまでがんばりたいと思います。